« 2017年1月 | トップページ | 2017年3月 »

2017年2月 6日 (月)

闇太郎

川上弘美はおもしろい。

ダイナミックな作風の変化があって(おそらく意図的な。)実験的なものもあり、作品によって当たりはずれ、というか好き嫌いが別れそうな作家さんだと思う。だけどやはり、そのどれもがどこか私の心を揺さぶるところをもっている。

私は個人的に初期の作風が好きである。異界に近しい不可思議さを濃厚に打ち出した幻夢の世界。漱石の夢十夜を思い出すような。

彼女はそして、よくも悪くも、根っからの、ものすごい振り切れたレヴェルで「女性的な」作家だと思う。

根源的な女性性、とでもいうのだろうか。規範、秩序、確固たる唯一の現実とされている男性社会を、その成り立ちそのものから無化していくようなようなかたちでの、彼女の描く異界性とエロティシズム。それは男性作家がおなじものを描くやりかたとはまったく異なる道筋で世界を描く。自我やアイデンティティという自明だったはずの枠組みをラディカルな形で無化してみせるのだ。この世の外部、異界、夢、官能、そして、追っても追っても限りなく果てない空虚な真理にも似た、切ない、愛のかたち。

 ***  ***

…で、「闇太郎」。

これは、2001年度谷崎潤一郎賞受賞した「センセイの鞄」の舞台になった居酒屋のモデルだと言われている吉祥寺の老舗である。

こういう店で、主人公ツキコさんのようにすっと座って麦酒を頼み、お手拭きで手を拭いつつお品書きを眺め、「まぐろ納豆。蓮根のきんぴら。塩らっきょう。」とかかっこよく注文してみたい、と思っていた。(センセイとの出会いの場面ね。)(ミーハーである。)

「センセイの鞄」は、15万部を売り上げたベストセラー。ドラマにもなったりして、おそらく川上弘美作品の中では最もポピュラーなもの。海外でも高く評価され、数々の賞を受け、ノーベル文学賞候補にもなったという。繊細で切なくこまやかな情感を湛えた…なるほどいかにも女性受けしそうなピュアな恋愛小説である。(そりゃあいいとは思うけどコアなファンとしてはまあポピュリズム方向、と言いたくならないこともない。じくじく。)

で、川上弘美でも村上春樹でもそうなんだけど、作品の中で描かれている食べ物の描写が素晴らしい。児童文学の中での憧れの食べ物もそうだけど…大体、食べ物が印象的に魅惑的に描かれている作品っていうのは、それ自体が素晴らしく魅惑的なものなんである、と私は信じている。

 ***  ***

だからねえ、「闇太郎」。
行ってみたかったんだよね、吉祥寺にあるんだもんね。

で、どっこいしょ。

ひとりじゃ怖いので、居酒屋慣れした友人引っ張り出して、土曜の夜の大冒険、嬉し恥ずかし闇太郎初体験。
Yami
土曜の夜、開店早々客で満杯。

引き戸を開ければ別世界。ふわりと包まれる、あたたかさ。その独特の温もり、陰影の織りなす小さな異次元。見ず知らずの人々がほんのひととき小さな空間に集う、親密な居酒屋空間。

…コレだよ、これ。これが知りたかったのだ。
Yami2
隅っこの席に、麦酒すすりながら、ぼんやりとこのあたたかな雰囲気に身を沈め、奥の小さなTV画面眺めたリしてる白鬚おじいさんとかいたりすると、いやもう、こういうのってたまらない。

…彼の人生のその禍福の末のこのひとときの味わいのことを考える。

隣の若い恋人同士、アベック(死語か…)の驚くべき善良ないちゃいちゃぶりも非常に興味深かった。カレシに甘ったれた声の可愛い女の子、カノジョがいることでしやわせいっぱいの、一般的にはあんまりイケメンとはいえないおこちゃまな男の子、二人で手を重ねて自撮り写メやるわひと目はばからずチュッチュってやってはとろけそうな笑顔で。…この先この二人が末永くって可能性の薄さを考えたりしちゃったけどね、それでも、それだからこそ、こういう人生の一コマのリアリティを感じるのってのは…楽しいものなんである。すべてを肯定できるような気持ちになってしまったりするんである。

それは、いろんな人生あってヨシ、な気持ち。かなしさもさびしさもやすらぎもよろこびも、日々さまざまに何があっても、土曜の夜のひととき、人々がこんな風に居酒屋で過ごすことの許される、平和な国でさえあればいいんだ、っていうような。

Yami1_2
おでんぐつぐつ。

Oden
湯気もご馳走なんだよね。

Na
菜の花とか烏賊納豆とか居酒屋メニュー大好き。

Sava
酔っ払いネコ~。

…創業以来40年以上、親父さんが変わらず一人で切り盛り、カレ、すごい貫禄である。ここでは店主が客に愛想よく如才なくとかそういうのは気持ちがいいほどなくって、客が皆店主の顔色を伺ってしまうんである。イヤイヤなんというか、笑ってしまう。貫禄の力かねえ。


…トイレの壁に川上弘美の写真と記事が貼ってあったよ。(トイレで写真撮るヤツ。)
Yami3
あの物語の時空を一生懸命思い出しながら脳みそを居酒屋モードに合わせ、ほろほろと酔っぱらった立春の宵。

Aka
帰り道、ものすごく怪しいメニューの赤提灯が。興味津々。

気安い友人とたくさん話して笑って、楽しかったけどくたくたのふらふら。(翌日曜は声も出ずぐったり、一日じゅう宿酔いの雲の中。居酒屋行って疲労してちゃしょうがないなあ。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年2月 2日 (木)

銀河鉄道の夜、あれこれ

去年、友人の息子さんの読書感想文に関して質問されたことがあった。「銀河鉄道の夜」に関して。

その日の日記。

 *** ***

朝、でかけようとしたとこで、iPhone君がぽよ~んと鳴った。
大学時代の友人からメッセージである。

彼が次男君(中一)の宿題の読書感想文に付き合ってたら、賢治の銀河鉄道の夜のことで質問された。わかったら教えてって。

「なんで鴈がお菓子になるのか?」
「なんでジョバンニの切符だけ特別なのか?」
「ほんとうの神様はたったひとりなのか?」

…いやそれぽんと聞くか?
「なんで?」ったってなあ。(知るわけないだろ。)

それ全世界の先鋭の研究者がはりきってカンカンガクガクやってるとこなのヨ中学生。

だからな、こんな風にあっさりきかれてもなあ中学生。
自分で考えろよ中学生。

答えなんかないんだからさ。
(ってかお父さんどこまでいいパパなんだよ羨ましくて目頭熱くなるぜよこのやろう。)

…ということで、マンションの大規模工事説明会でぐったりくたびれた後、美しいお天気の土曜日、家にこもる気もしないので、街の公園のベンチでただぼんやり風に吹かれていた。

平和に土曜日を楽しむ人々を眺めて緑の空気を吸って冷やし珈琲をすすりながら子供の本を読んで。

そいで、ぽよんぽよんと思い出したようにいろいろ聞いてくる彼に返信しつつ考えた。
20160903135942_2
晩夏だ。

蝉が鳴いて風が吹いて水面がきらきらしてるのって幸福だな。


そしてやっぱり賢治を考えるのは楽しい。


今年は生誕120周年で、花巻ではいろいろ記念イベントがあったらしい。素晴らしくうつくしい銀河鉄道の夜イメージのイルミネーションやらなにやらやってたらしい。

賢治記念館は山の上の素敵なとこにある。カレが実際弾いていたというかっこいいチェロなんか飾ってあった。

行きたかったな。
…イヤ、行きたいな。

人生もうだめだと思ったときは、とりあえずあきらめる前にもう一度あすこへ行ってからにしよう。

午後、銀河鉄道さっと読み返してしばらく目をつぶっていろいろ思い起こして考えて、少しでも中学生の参考になれば、とあれこれ即席で殴り書きして送り付けておいた。

親の方にはそれでもそれなりに結構納得してもらったみたいで嬉しい。

もう寝よう。
明日は雨。


 *** ***


…で、さっきメールの記録で探し物してたら、そのときの答えのメモがあったので、あげておこうかな、と。

 *** ***

①雁を食べたらなぜお菓子の味がしたのか。

まず、この銀河鉄道宇宙(ジョバンニの夢オチとなる幻想世界)では、すべては象徴的なものである、形而上的なるものであるとして意味を考えた方がいい。

この「鳥捕り」の意味はものすごく議論されてて、難しいんだけど、だいたいが「市井の商売人、俗人(尊敬できるわけでもないがごく普通に親切な人)」のイメージ、その象徴として登場しているという風に考えてもいいんじゃないかと思う。

ジョバンニが馬鹿にしつつ、その人の差し出したものを享受しているという後ろめたさや憐みのような気持ちの表出は、賢治が、俗人、大いなるもののことを考えず、ただ閉ざされた目の前のことだけ、ごくあたりまえに繰り返す日々を稼ぐ人々への複雑な思いを表現してる、とかね。

で、どうしてお菓子になるのか。

賢治はが天上世界やファンタジー、岩手県でなく楽しいファンタジーワールドとしてのイーハトーヴォを童話として描くとき、そこの食べ物は、日々の身体が生きるための糧(穀物や肉、食事的なもの)ではなく、むしろ心を喜ばせる夢の力のたべものが選ばれる傾向がある。果物や、お菓子。

タイタニック号から乗り込んできた姉弟のシーンでは子供たちのために、ひとりでにくるくると皮がむけてパイのように食べられるりんごが出てきたよね。別の童話だけど「ひかりのすあし」での神さまの差し出す魔法のチョコレート、妹の詩をうたった詩「永訣の朝」では愛妹の魂の天国での食べもの「天上のアイスクリーム」を祈る。(異稿ね。あとから「兜率の天の食」っていうかっこい言葉になおしたりしてる。どっちも賢治らしい。)

だから、ここでの食べ物は、現実の、なまなましい残虐さをもった生き物の肉としての糧食、鳥ではなく、天の川がぼおっと凝ってできた観念としての鳥、その自然の一部としての美と恵みのイデアの部分だけとりだした心の糧として表現する。肉を食う残虐さを浄化した、肉体の原罪の持つ矛盾を超えたところにある、イデアの食べもの。純粋に甘い心のよろこびのチョコレート。(ハーゲンダッツのCMじゃないけど、「幸せだけでできている」。)

賢治の時代、チョコレートっていうのはすごく特別で貴重な食べ物で、すごいお金持ちがたまにしか入手することができない、ってレヴェル。決して日常のもの、腹を満たすための食べ物じゃない。賢治の作品の中によく出てくるよ。特別の食べ物として。

②なぜジョバンニだけが特別な切符なのか。

ズバリ、主人公だからです。

…っていったらそれでおしまいなんだけど、カムパネルラもかおる子たちも、みんな死者、或いは幻想世界の住民。それぞれ、死後の国、(あるいそれはキリスト教の国)へ、その行き先の定められた切符、或いは鳥捕りや灯台守、他の、日々の生活に埋もれ仕事を定められた毎日を生きることを受け入れた人たちの人生を象徴する切符。

でもジョバンニが持っているのは限りなくただひたすら真実を、愛を、ただしいものを求める心、それはひたすら無限の可能性。果てない探求のための切符。死者たちを見送り、生活者を観察し、その人生を学び、それぞれの「ほんとうのさいわい」を考える。さまざまのひととその駅を見ながら学びながら真実を探りながら悩みながら現実を生きつづけなければならない者。

…っていう切符。こんな感じでどうかな。

「こいつはもう、ほんとうの天上にさへ行ける切符だ。天上どこぢゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次なんか、どこまででも行ける筈でさあ…」

ただしきものよきものを探し求める心の、そして知の力、それはあらゆる可能性に開かれた力である、と。

③本当の神様はたった一人なのか。

クリスチャンの青年とジョバンニの神さま談義があったよね。

「あなたの神さまってどんな神さまですか。」青年は笑いながら云いました。
「ぼくほんとうはよく知りません、けれどもそんなんでなしにほんとうのたった一人の神さまです。」
「ほんとうの神さまはもちろんたった一人です。」
「ああ、そんなんでなしにたったひとりのほんとうのほんとうの神さまです。」

かみ合ってない。「ほんとうの」「たったひとりの」の定義が食い違っている。

クリスチャンの青年にとっての唯一神はキリスト、エホバ、創造主。
だけど、ジョバンニの神様は…否定形でしか語ることのできない、ただ、なにか絶対のもの、これ、と言ってはいけない真理、この世界を何か美しい「法(ダルマ)(論理)」で統べている、その世界の在り方そのものの「正しさ」への信仰、或いは、祈り。

これは賢治の作品から例を引くと限りないし、あんまりにもでっかすぎてここでは簡単にしか言えないけど、銀河鉄道の夜の初期形(ブルカニロ博士編)」のこのへんは参考になるんじゃないかな。(これは初期形とかいわれてる、いわゆる異稿。出回ってる「最終形」では最後のこの理屈っぽい博士んとこは削除されてる。)

「だからやっぱりおまへはさっき考へたやうにあらゆるひ とのいちばんの幸福をさがしみんなと一しょに早くそこへ行くがい ゝ。そこでばかりおまへはほんたうにカムパネルラといつまでもい っしょに行けるのだ。」

「あゝ、ぼくはきっとさうします。ぼくは どうしてそれをもとめたらいゝでせう。」

「あゝわたくしもそれを もとめてゐる。おまへはおまへの切符をしっかりもっておいで。そ して一しんに勉強しなけぁいけない。おまへは化学をならったらう。 水は酸素と水素からできてゐるといふことを知ってゐる。いまはだ れだってそれを疑やしない。実験して見るとほんたうにさうなんだ から。けれども昔はそれを水銀と塩でできてゐると云ったり、水銀 と硫黄でできてゐると云ったりいろいろ議論したのだ。みんながめ いめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだらう、けれど もお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだ らう。それからぼくたちの心がいゝとかわるいとか議論するだらう。 そして勝負がつかないだらう。けれどももしおまへがほんたうに勉 強して実験でちゃんとほんたうの考とうその考を分けてしまへばそ の実験の方法さえへきまればもう信仰も化学と同じやになる。」

あらゆる宗教のもつ美しい部分を否定することなく、その主観の相克による倫理の相対性に苦しみながら、そのレヴェルを超える、矛盾を止揚する多元宇宙(この世界モデルは仏教的)(インドラの網、と呼ばれる宇宙構造だ。)すべてを統べるイデアのレヴェルへ、その定義を、科学としての絶対の世界観を求めていたんじゃないかな。

ブルカニロ博士の最後の科白はこれ。これはさっきの切符の話ともつながってくる。少年や未来に託した祈り、のような賢治の心の熱さが伝わってくるようだ、

なんて、思うよ。

「さあ、切符をしっかり持っておいで。お前はもう夢の鉄道の中で なしに本統の世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐに歩いて 行かなければいけない。天の川のなかでたった一つのほんたうのそ の切符を決しておまへはなくしてはいけない。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年1月 | トップページ | 2017年3月 »